昔の温泉
大湯温泉「龍門亭千葉旅館」
おなじなが月の十九日 夜経の雨も辰ばかり晴れて、けふなん箒畑(はぎばた)といふ山里にまかり、銚子瀑見にいなん、いざとて、とぶらひ来ける福本興正とともに毛馬内の里を出て、大湯の湯桁のやかたも過て、大湯泉(オホユ)町といへるところより弓手の大橋を渡りて、川にそひて篠淵、しのだひをわくるに、流れをへだてて堀内、折戸といふやかたどもは、四角嶽の麓のやうにおぼゆ。
「十曲湖」 |
泉質はナトリウム−塩化物泉(旧泉質名 弱食塩泉)。PH7.8。泉温は70.1℃。 |
明治40年(1907年)6月12日、河東碧梧桐は十和田湖から大湯温泉へ。 |
六月十二日。雲。 十和田湖から西に落る川を大湯川という。その源に銚子の滝がある。滝から下って六里ばかり来た処に、川に沿うて温泉が湧く。四五町の間殆ど各処に湧いておる。荒瀬の湯、上の湯、下の湯、河原の湯の四つを著しいものとして、その他小さい掘捨井のようなものは数知れずある。それを総称して大湯村ともいうのである。 予は上の湯に宿をとった。坐っておって、田も山も見える。 |
大正14年(1925年)9月15日、与謝野寛・晶子夫妻は大湯温泉に泊まっている。 |
大湯村米代川の白き瀬に馬のあそべる秋のゆふぐれ
『心の遠景』 |