翁 塚


時雨塚

須賀川市上北の田村氏宅に「時雨塚」があるというので、行ってみた。


 元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立ち『奥の細道』の足跡をたどる。須賀川で藤井晋流を訪ねている。

須賀川の驛晋流といふ人を尋ね宿す。此あるじは藤井氏にして。晋子の門人なり。正風を守り。風雅に富る人なり。彼是と物語し。翌日も草臥を休らふ。あるじに珍物あり。先師翁の眞跡奥の細道。其外翁の自畫賛。翁獨吟歌仙。曾良が筆。或は貞徳老人の筆。晋子自畫賛。杉風筆の翁の像。其他古人の墨跡。多く取出て見せられ。淺からぬもてなしなり。


時雨塚


風羅坊芭蕉翁

寶晋齋其角翁

寛保元年(1741年)10月12日、藤井晋流建立。

右側面に晋流の句が刻まれている。

粟津より松風とゞくしぐれ哉

『諸国翁墳記』に「時雨塚 奥州須賀川駅在 晋流建」とある。

 藤井晋流は上州小泉村の近藤外記の子。須賀川の豪商藤井惣右衛門の長女の婿として迎えられた。其角の弟子である。

 明治39年(1906年)10月16日、河東碧梧桐は須賀川の十念寺を訪れる途中で、「時雨塚」を見ている。

 多代女の墓は十念寺にある。これにも詣る。途中其角の門人晋流の建てた時雨塚を見た。これは料理屋の庭の芝生の中にある。


 大正14年(1925年)7月6日、荻原井泉水は「時雨塚」を見ている。

裏に出て、時雨塚を見た。その辺から東の山裾を見た眺が粟津辺に似ているというので、芭蕉と其角とを祀った石を立て、当地の晋流が「焼香辞、粟津より松風とゞく時雨かな」の碑を立てているのであった。

『随筆芭蕉』(かげ沼と等躬の跡)

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