2023年岡 山

有森裕子の像〜岡山県総合グラウンド〜
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岡山市北区いずみ町に岡山県総合グラウンドがある。

泳縁


水を愛し
水に学び
水に生かされ
水の力で人々の健康と
幸福を創造する
水に感謝

木原光知子


泳縁

泳ぐことで生まれた縁(えにし)によって生かされ、
自らの世界が広がっていく

木原光知子 経歴

1948年 兵庫県明石市で生まれ、その後岡山市にて育つ
1962年 第17回岡山国体に特例の中学生で初出場
      100m背泳ぎ3位入賞
1963年 第3回全国中学校選抜水泳競技大会(名古屋)
      100m自由形、100m背泳ぎ、200m個人メドレー優勝
1964年 第18回東京オリンピックに最年少16際で出場
      400m個人メドレーリレー4位入賞
1966年 第5回アジア大会(タイ)
      100m・200m自由形 400mフリーリレー、400mメドレーリレー優勝
1986年 第1回世界マスターズ水泳競技大会(東京)
      50m背泳ぎ 優勝
1997年 ウーマンズ・スイム・フェスティバルを創設
      日本初「女性の、女性による、女性のための」水泳大会を主宰
2005年 財団法人日本水泳連盟理事になる
2007年 永眠(10月18日) 享年59歳

昭和42年(1967年)1月、木原光知子は東レ専属の水着モデルとなる。

総合“ラウンドクラブ”


施設のご案内

 この建物は明治43年(1910年)10月12日、旧陸軍の将校の社交場「第十七師団岡山偕行社」として誕生しました。(ここ岡山県総合グラウンドの地は明治時代から太平洋戦争まで練兵場でした。)

 戦後、進駐軍に接収されたあと、昭和25年(1950年)から昭和42年まで岡山労働基準局の庁舎として使用されました。昭和43年に元の位置から約100m西に移築されて合宿所となりましたが、老朽化などでその後約10年間閉鎖されていました。

 再びにぎわいが戻ったのは、平成2年(1990年)。保存・再生の改修により、園内の憩いの場「岡山県総合グラウンドクラブ」として復活しました。そして、平成15年(2003)年、現在の体育館建設のため、さらに西へ100m移転され現在に至っています。

 県下では数少ない明治期を代表する近代建築の一つであり、平成24年8月13日に国の有形文化財に登録されました。

友 情


左側から


左側面


右側から


御 製


桃の実の二つに割れし間より

 岡山国体の選手入り来る

平成18年(2006年)3月、建立。

 天皇皇后両陛下は平成17年10月に開催された第60回国民体育大会「晴れの国おかやま国体」秋季大会へ行幸啓になり開会式への御臨席競技御覧のほか県内各地を御視察されました。

 195万県民の総力を結集して取り組んだこの国体は県内全域で大いに盛り上がり岡山らしい魅力と感動にあふれれた大会としていつまでも心に残る素晴らしい国体であったとの高い評価を県内外から受けましたまた悲願であった天皇杯・皇后杯を獲得するなど県民に夢と感動を与える大会となりました。

 この御製は天皇陛下が桃太郎スタジアムで行われた開会式での入場行進の情景をお詠みになったものであり開催記念として永く後世に伝えるためここに建碑いたしました。

スポーツの塔


弓を引く若人


スポーツの塔・弓を引く若人

 岡山の新聞会社である「山陽新聞社」が創刊80年記念事業のひとつとして、背後のスポーツの森とともに、昭和33年(1958年)に建設し、岡山県に寄贈したものです。

スポーツの塔は80周年にちなんで80尺(24.24メートル)、「弓を引く若人」は、高く、遠く、強く、青空に飛ぼうという、スポーツ精神を象徴しています。2巡目の岡山国体を前に、山陽新聞創刊125周年に当たる平成16年(2004年)に補修しました。

山陽新聞社

郷土が生んだ陸の女王人見絹枝像


岡山日日新聞社寄贈。岡本錦朋制作。

左側面
   
右側面

   


後ろから


人見絹枝選手略歴

 明治40年(1907年)1月1日、岡山県御津郡福浜村字福成(現:岡山市)に生まれる。
 大正9年(1920年)、岡山県立岡山高等女学校入学。在学中走幅跳で4m67の日本最大正13年(1924年)、二階堂女塾入学。
 大正14年(1925年)、同塾卒業後、京都市立第一高女、二階堂女塾に奉職。
 大正15年(1926年)、大阪毎日新聞社運動部記者として入社。第2回世界女子オリンピック(ストックホルム)に単身参加し、美吉野運動競技場・以下美吉野)に非公式参加。走幅跳5m50の世界新で優勝のほか、個人優勝(15点)をする。
 昭和3年(1928年)、第9回オリンピック大会(アムステルダム)に出場、未経験の800mで2分17秒6(世界タイ記録で銀メダル獲得。日本女性で初めてオリンピックに参加し、日の丸を掲げる。
 昭和5年(1930年)、第3回世界女子オリンピック(チェコ)で走幅跳2連勝。
 昭和6年(1931年)、肺炎に肋膜炎を併発し、闘病するも8月2日没す。

有森裕子


魂・勇気・気力

 平成16年(2004年)12月、山陽新聞社が創刊125周年記念事業として設置。上田久利制作。

左側面


後ろから


有森裕子選手略歴

1966年 岡山市に生まれる
      岡山市牧石小学校、岡北中学校、就実高校
      日本体育大学を経てリクルート入社
1989年 山陽女子ロードレース20Km優勝
1990年 大阪国際女子マラソン6位(初マラソン日本最高記録)
1991年 大阪国際女子マラソン2位(日本最高記録)
      世界陸上選手権女子マラソン4位
1992年 バルセロナ五輪マラソン銀メダル
1995年 北海道マラソン優勝
1996年 アトランタ五輪女子マラソン銅メダル

知らないことが多かった。

平成23年(2011年)11月10日、『岡山日日新聞』廃刊。

岡山駅へ。

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