宝暦8年(1758年)1月24日、製作。作者は京都三条通り近藤播磨藤原定延。県下最大の青銅露坐仏。 |
當山円通寺の十世国仙和尚の弟子になった良寛、今からほぼ200年前、遠く越後出雲崎から来て、前後20年間、禅の修行に専念し、再び越後に帰って行った良寛、名主の家から一介の乞食僧に身を捨て、一衣一鉢、生涯かけて真実本然の世界に遊ぼうとした良寛、目に見える差別相の裏に、目に見えない空相を観じ、内外一如、慈悲相を顕現した良寛の面目は、その残した多くの詩や歌や書、逸話に躍如としている。ここに選んだ良寛の歌3首は、簡明にして無技巧、三昧清浄の境涯を歌い上げた、最も良寛らしい代表作である、當山に建立の詩碑、立像、良寛堂、その他の遺跡とともに、良寛を偲ぶよすがにしたい 。 良寛の歌 3首 春山にさくらかざして思ふどち あそぶこの日はくれずともよし 月は清し風はさやけしいざともに おどりあかさむ 老のなごりに かたみとて何か残さん春は花 やまほととぎす秋はもみぢば |
二月一日 澄太居。 澄太君は大人である、澄太君らしい澄太君である。 私は友として澄太君を持つてゐることを喜び且つ誇る。 黙壺居。 黙壺君も有難い友である。 初めてお目にかゝつた小野さん夫婦に感謝する。 広島の盛り場で私は風呂敷を盗まれた。 日記、句帖、原稿――それは私にはかけがへのないものであり、泥坊には何でもないものである。 とにかく残念な事をした、この旅日記も書けなくなつた、旅の句も大方は覚えてゐない。 やつぱりぐうたらの罰である。 岡山から広島までの間で、玉島のF女史を訪ねたことも、忘れがたい旅のおもひでとならう。 円通寺、良寛和尚。
『旅日記』 |
岩のよろしさ も良寛さまの 想ひ出 |
平成4年(1992年)11月3日、玉島文化協会建立。協賛玉島信用金庫(川柳たましま社) |
種田山頭火(明15〜昭15)に自由律俳誌「層雲」の同人として諸国を放浪し数々の名句を残した求道の詩人であった。昭和11年良寛の若き日の修行の地玉島の円通寺に足を運んで詠んだ一句がこれである 岩の多い寺のその一つ一つに厳しい修行時代の良寛の面影を偲び、後年の遊戯三昧自在の境涯に入った真人良寛様を遠く拝んだ句として有難い。 |
君看雙眼色(君看ずや雙眼の色) 不語似無憂(語らざるは憂いなきに似たり) |
ときをりは北前船を見下ろして ふる里こひしか良寛さまは |