2023年〜岡 山〜
土光敏夫先生顕彰碑〜希望。風と鳥と少年たち〜
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土光敏夫先生は、岡山県御野郡大野村(現在の岡山市北区)出身で、昭和日本のエンジニア、実業家です。石川島重工業・石川島播磨重工業社長、東芝社長・会長を歴任、日本経団連第4代会長に就任され、「ミスター合理化」 として土光臨調でも辣腕を振るわれました。その一方で、質素倹約を旨とされ 「メザシの土光さん」 としても親しまれました。
土光敏夫先生の生涯は、日々新たな精進の積み重ねである
失敗を恐れず終生チャレンジ精神を持ち続け幾多の難関を打ち破ってこられた。 晩年に及び、国の行政改革を、思想は高く、暮らしは低く」の信条を自ら実践された。 「メザシの土光さん」と親しまれた先生の質素な生活、率先垂範の行動は多くの人々に感動と勇気を与えた。 我が国の将来に新たな飛躍の礎を築かれた先生の御功績を、後世の人々に永く伝えるため、 多くの人々の浄財により、先生ゆかりの地岡山に之を建立する。 |
明治29年、岡山市北長瀬に生まれる。 関西中学校、東京高等工業学校卒業。 石川島播磨重工業社長・東京芝浦電気社長などを経て昭和49年経済団体連合会会長に就任。 昭和56年3月、臨時行政調査会会長。 昭和58年7月、臨時行政改革推進審議会会長。 昭和54年、岡山市名誉市民。昭和56年、岡山県名誉県民に推される。 昭和61年、勲一等旭日桐花大綬章を受章。 昭和63年8月4日、没す。(享年91歳) |