2015年新 潟

内沼神社〜芭蕉の句碑〜
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新潟市北区内沼に内沼神社がある。


内沼神社


内沼と福島潟の開発

 内沼神社は昭和27年(1952年)集落内の綿向神社、神明社、宗像神社、日枝神社の4社を合祀した神社です。社殿には、新発田町の御用商人沢村六郎兵衛が綿向神社の由来を記した元文元年(1736年)の石柱が保存されています。そこには「近江国西明寺村の沢村太兵衛が延宝年中(1673〜81)に新発田へ移り住み、孫の六郎兵衛が享保15年(1730年)にこの地を購入し、今は田畑を開発している。享保17年(1732年)先祖の氏神である綿向大明神を勧請した」と刻まれています。内沼の開発は1730年頃に始まったことを示すこの石柱は、「福島潟の開発」を示す市内最古の歴史資料でもあります。

 江戸時代の中頃、福島潟は内沼周辺まで広がっていました。潟開発の最前線だったと考えられるこの地に、六郎兵衛が勧請した先祖の氏神が、そのまま内沼の鎮守となり、開発を続ける人々の精神的よりどころになりました。また享保19年(1734年)に江南区砂崩(旧亀田町)から移住してきた佐藤名兵衛家は、内沼・大月の草分けとして代々名主を務め、福島潟開発の中心的な役割を果たしました。

 内沼神社で8月30・31日に行われる祭礼では、江戸時代から伝わる獅子舞(新潟市指定無形民俗文化財)と神楽が舞われています。

新潟市北区郷土博物館

社殿の右手奥に芭蕉の句碑があった。


しはらくは花のうへなる月夜かな

出典は『初蝉』(風国編)。

貞亨5年(1688年)春、「笈の小文」の旅の途上で詠まれた句。

『蕉翁句集』(土芳編)には「よし野にて」と前書きがある。

大正4年(1925年)3月、學遊社建立。

社殿の裏に水田が広がる。


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