
|
昭和42年(1967年)8月9日、長崎平和の折り鶴会設置。中田秀和制作。 昭和57年(1982年)、ドミニコ中田秀和は72歳にて帰天。 |
| 昭和14年(1939年)、金城実は沖縄県浜比嘉島に生まれる。沖縄県読谷村在住。 |

|
平和の母子像男たちが戦場に向ったとき、女たちもまた勝利を祈った。しかし、広大な大陸や、はるかな海の島々では、数知れない人々の血が流されていった。そして遂に1945年、沖縄での惨劇についで、8月6日広島、9日長崎への非道な原子爆弾攻撃に至った。 ああ、あの閃光の下で、幾万もの男女、無数の母と子が灼かれ、ひき裂かれ息絶えた。 あれから40余年、いま第2の核戦争へとシグナルは点滅し、地球は破滅の渕にある。 ああ、あの閃光の下で、幾万もの男女、無数の母と子が灼かれ、ひき裂かれ息絶えた。 戦争も核兵器も許してはならない。命ある全てのものが生きる、この緑の大地を、地球を守ろう。 それぞれの「あの日」を生きつづける女たちの、たぎる思いをひとつにあわせ、再び、あの惨禍をくり返さぬ誓いをこめて、ここにこの像を建てる。 |


