2024年長 崎

平和の母子像〜セントポール通り〜
indexにもどる

爆心地公園から長崎原爆資料館に向うと、「平和を祈る子」の像があった。


昭和42年(1967年)8月9日、長崎平和の折り鶴会設置。中田秀和制作。

昭和57年(1982年)、ドミニコ中田秀和は72歳にて帰天。

 昭和14年(1939年)、金城実は沖縄県浜比嘉島に生まれる。沖縄県読谷村在住。

平和の母子像


昭和62年(1987年)8月1日、建立。金城実制作。

 平和の母子像男たちが戦場に向ったとき、女たちもまた勝利を祈った。しかし、広大な大陸や、はるかな海の島々では、数知れない人々の血が流されていった。そして遂に1945年、沖縄での惨劇についで、8月6日広島、9日長崎への非道な原子爆弾攻撃に至った。

 ああ、あの閃光の下で、幾万もの男女、無数の母と子が灼かれ、ひき裂かれ息絶えた。

 あれから40余年、いま第2の核戦争へとシグナルは点滅し、地球は破滅の渕にある。

 ああ、あの閃光の下で、幾万もの男女、無数の母と子が灼かれ、ひき裂かれ息絶えた。

 戦争も核兵器も許してはならない。命ある全てのものが生きる、この緑の大地を、地球を守ろう。

 それぞれの「あの日」を生きつづける女たちの、たぎる思いをひとつにあわせ、再び、あの惨禍をくり返さぬ誓いをこめて、ここにこの像を建てる。

長崎原爆資料館前のセントポール通りに「はぐくむ」の像があった。


反核・平和

平成3年(1991年)8月17日、設置。田中寛治制作。

――鎮魂――
あの夏の日


平成9年(1997年)3月20日、設置。井上幸雄制作。

知らない人ばかりだった。

2024年長 崎〜に戻る