越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は拾年にわたる争を一挙に決しようと永禄4年9月10日川中島に相対した。世に言う川中島の大合戦である。戦記によるとこの戦は前半は上杉方の優勢、後半は武田方のはさみうちにあって上杉方の不利と伝えられている。乱軍のうちに散りぢりになった上杉方は態勢を立て直すいとまもなく敗走した。大将謙信も主従わずかに数騎高井の高社山を左に見て漸く千曲川安田の渡しにさしかかった。謙信は日頃信仰する小菅神社に入ろうとしたが里人の忠告に従って渡し舟に乗って千曲川を渡った。この時川西に張り渡した渡し綱を切って落し追手の追跡をのがれて事なく春日山に帰りつくことができたのである。 この時以来この渡しを綱切りの渡しと呼ぶようになったと言う。 綱切橋は川中島戦史をいろどる綱切の渡しあとである。
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