私の旅日記2012年

真宗寺〜小説『破戒』の蓮華寺〜
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飯山市南町に真宗寺という寺がある。


安養山笠原院真宗寺


浄土真宗本願寺派の寺である。

 当山の開基教念は承久2年常陸国にて親鸞の直弟子となり、文永9年4月信濃国笠原に一寺を創立、慶長9年5月現在地に移転した。当寺は小説『破戒』の蓮華寺のモデルとして知られているが、島崎藤村が明治35、6年頃取材の為数回来泊したことは『千曲川スケッチ』等にも散見される。又、『椰子の葉蔭』は本願寺の西域仏蹟探検の大谷探検隊に参加した当寺二十三世井上寂英の娘婿藤井宣正及び二十四世弘円が旅先から寄せた絵葉書並びに宣正の遺稿『印度霊穴探検日記』が素材になっている。又、二十四世の妹つるえは「ふるさと」「おぼろ月夜」など多くの唱歌を作詞した高野辰之に嫁いでおり、博士の多くの書が残されている。

 その当寺も昭和27年5月18日の飯山大火のおり山門、本堂、鐘楼、庫裡等7棟を類焼したが、経堂(転法輪)だけは焼失をまぬがれ、往時の名残りをとどめている。

 又、境内には『破戒』の文学碑が往時の真宗寺と藤村を偲ぶよすがとして建てられている。

小説破戒蓮華寺


『破戒』の文学碑


   第壱章

       (一)

 蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹で、丁度其二階の窓に倚凭(よりかゝ)つて眺めると、銀杏の大木を経(へだ)てゝ飯山の町の一部分も見える。

『破戒』の冒頭である。

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