加舎白雄(1738〜1791)は与謝蕪村とならび称される江戸中期の俳人、文学史上“天明中興の五傑”に数えられている。
本名吉春、のち競(きそお)。元文3年(1738年)信州上田藩士の次男として江戸深川に出生、多感な青年期を経て明和2年(1765年)江戸の俳人烏明(うめい)に師事、白尾坊昨烏(さくう)と称した。
烏明の師、白井鳥酔(ちょうすい)から芭蕉再認識の論を教示され、明和、安永頃(信州)北陸、京阪、東北各地を旅行、安永9年日本橋に春秋庵を開いた。関東から中部地方に約4,000人の門人を育てた。生涯妻帯せず、酒と俳句を愛し、後「日東の青蓮居士(日本の李白)と称された。性格は直情、潔白で、孤高の態度をくずさなかった。唐様の書にすぐれ、能書家として知られる。
明和6年(1769年)8月姨捨山に建てた芭蕉句碑は白雄の俳人としての出発を示すもので、戸倉、屋代の門人の出資によった。当主坂井鳥奴(ちょうぬ)(要右衛門兼甫(かねすけ))もその有力な一人で、明和4年以来白雄に親近、江戸の名家として天下に知られてからも白雄は必ず坂井家を訪れ、酒や蕎麦のもてなしにあずかっている。当家には多くの白雄資料が伝わるのこのような長年の交遊のたまものである。
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中庭に白雄の句碑があった。

葉生姜や手にとるからに酒の事
滞留中閑なる日 半輪主人にこたふ
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夢二絵画館には竹久夢二の掛け軸などが展示されている。
竹久夢二が戸倉上山田温泉の「笹屋ホテル」に泊まった時に描かれたもののようだ。
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坂井家十五代目坂井量之助は戸倉温泉の開祖と言われる。千曲川の川原に坂井量之助の記念碑がある。
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温泉の開祖坂井量之助翁

坂井量之助は私財を投げ打って温泉掘削事業に取り組み、明治26年4月に戸倉温泉を開湯。明治31年の大洪水によって旅館は全て流失してしまうが、その後坂井量之助は再び戸倉温泉を千曲川の東に移すことによって、戸倉温泉の基礎を作った。なお、上山田温泉は明治36年に開湯。
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西条八十

ひとを切るのが侍ならば恋のみれんがなぜきれぬ