斎藤茂吉ゆかりの地
温泉旅館「山城屋」
斎藤茂吉は大正六年十二月長崎医学専門学校精神病学科教授として着任翌年四月より大正十年三月の帰京までここに住んだ。その間、「童馬漫話」「歌集あらたま」を中央より刊行したほか短歌における写生論を確立した。 |
大正6年(1917年)12月下旬、長崎医学専門学校精神病学科教授として着任した歌人齋藤茂吉は旅館に仮り住まいののち、一時、金屋町に移り、翌年4月14日、ここに移住した。 大正10年(1921年)3月に東京へ去るまで歌人の集いなどがしばしば、この家で催された。 |
朝明けて船より鳴れる太笛の |
こだまは長し並みよろう山 |