斎藤茂吉の歌碑

われいまだ十四歳にて庄内へ

     旅せし時に一夜やどりき



原町十字路

大江町左沢の称念寺から原町十字路へ。


原町十字路に齋藤茂吉の歌碑があった。


われいまだ十四歳にて庄内へ旅せし時に一夜やどりき

平成16年(2004年)、大江町建立。

137番目の齋藤茂吉歌碑である。

齋藤茂吉と左沢

 齋藤茂吉が左沢に来訪したのは昭和4年9月14日でした。前日の夜行列車で上野を発ち、まず大石田に行きました。大石田で最上川を見てから山形に引き返し、左沢に着いたのは午後3時ごろでした。天候は晴れていました。

 左沢で人力車を頼んだ茂吉は福田正直家を訪れました。正直は、歌誌『アララギ』で茂吉の選を受けており、2人は師弟の真柄でした。その日茂吉は中折れ帽子をかぶり、グレーがかった縞の服に身を包んでいたそうです。福田家で一服したあと、正直とその父、妹とともに百目木(どめき)の簗に行きました。

 ちょうど落ち鮎の季節で、簗に下ってくる鮎を見た茂吉は声を上げて喜びました。それから簗の近くの料亭に行き、ビールを飲みながら鮎の塩焼きなどとともに、茂吉の大好物である鰻の蒲焼きを食べました。こうして茂吉は上機嫌になり「新庄節」を歌ったと伝えられています。

 宴のあとは、遠回りしながら遊郭の前を通り福田家に帰り、その夜、茂吉は正直の求めに応じて自作の「高野山大門の歌」を揮毫しました。

 翌15日、茂吉は左沢駅午前8時40分発の汽車に乗り、上山で温泉旅館を経営している実弟のもとに向かいました。

 茂吉は大石田と左沢に来訪したことは「最上川行」として、大石田4首、左沢5首の短歌にまとめられ、第7歌集『たかはら』に収録されています。

 左沢には、この5首の中から選ばれた4基の歌碑と福田家で揮毫した自筆の歌碑、左沢に縁のある自筆集字の歌碑の合計6基の茂吉歌碑があります。

大江町教育委員会

最上川河畔へ。