大正3年(1914年)8月29日、長塚節は大淀川の橋の上により霧島を眺め、宮崎神宮へ参る。 |
二十七日、宮崎にのがる、明くれば大淀川の ほとりをさまよふ 朝まだき凉しくわたる橋の上に霧島低く沈みたり見ゆ
「鍼の如く 五」 |
朝まだき |
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すずしくわたる橋の上に |
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霧島ひくく |
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沈みたり見ゆ |
二人は川べりに立って、夕映えのなかにつつまれて夕映えをながめた。夕映えは大川の水面にもひろがって来ていた。静かな水の色が夕映えのなかへふくらんで、あたたかく溶け合っているようだった。 高くない山波は川上へゆるやかに低くなってゆく、その低まりの果てに、日が沈みかけていた。橘橋の影が美しく水にうつっていた。
小説「たまゆら」の一節から
昭和39年11月、ノーベル文学賞作家の川端康成は、この地を訪れて、15日間滞在し、NHK朝の連続テレビ小説「たまゆら」を執筆した。 「たまゆら」のテレビ放映は、宮崎への新婚旅行ブームに一層拍車をかけ、観光宮崎の礎となった。 この碑は、川端康成をしのぶとともに宮崎の自然の美しさをたたえ、建立するものである。 |