大正9年(1920年)5月、河野静雲は時宗総本山遊行寺から専念寺第三十九代住職に就任。 大正12年(1923年)6月、養父智眼師の急病で帰福、福岡市馬出の称名寺に寄寓。 昭和24年(1949年)、大宰府町観世音寺月山に花鳥山佛心寺を創建。 昭和38年(1963年)、東北に旅し亘理に立ち寄る。 |
さずかりし 露の身 うきも よろこびも |
河野静雲師本名は定雲虚子門の逸材嘗て専念寺住職に住し俳誌木犀を創刊子弟を導かる大正末故郷博多に移り誌を冬野と改題して花鳥山佛心寺におり俳句寺とす昨秋子弟あまたと東北に旅し四十年ぶりに亘理に立ち寄る 同志相計り師の徳をしたいこの句碑を建つ 昭和卅九年十一月廿日
武田淑郎識 |