明治39年(1906年)8月30日、翁朝盛は仙台市国分町に生まれる。本名、盛。 大正13年(1924年)6月、上京して山崎朝雲の門に入る。 昭和12年(1937年)、翁観二は東京都に生まれる。 昭和20年(1945年)、宮城県川崎町に疎開。 |
昭和34年(1959年)8月7日、宮城縣内學校児童生徒職員設置。翁朝盛制作。 昭和36年(1961年)、翁観二は多摩美術大学彫刻科を卒業。 昭和43年(1968年)4月9日、翁朝盛死去。享年61歳。 |
昭和36年(1961年)10月28日、第8回全国会員大会開催記念・仙台青年会議所創立10周年記念に仙台青年会議所設置。阿部正基制作。 |
昭和44年(1969年)10月17日、志賀潔先生遺徳顕彰会建立。阿部正基制作。 |
先生は1870年12月18日 仙台市に生れた 仙台市片平丁小学校を経て東京独乙語学校に進み第一高等中学校 次いで1896年東京帝国大学医科大学を卒業 直ちに伝染病研究所に入り北里柴三郎博士に師事し1897年志賀赤痢菌を発見す 時に歳27 1901年ドイツへ留学パウル・エールリヒ博士に師事し睡眠病トリパノゾーマの治療剤トリパンロートを発見して化学療法の魁をなす 1905年帰国翌年及び1909年と再度にわたりて極東熱帯病学会に出席し更に1912年ローマに於ける万国結核病学会に日本代表として列席した 1920年慶応義塾大学医学部教授となり同年秋請われて朝鮮総督府医院長兼京城医学専門学校長となる 更に1929年京城帝国大学総長に任ぜられた 先生の功績に対し1944年国家文化勲章を授与し 1949年仙台市は郷党の誇として仙台市名誉市民の称号を贈った 1957年1月25日88歳の高齢を以ってその光輝ある生涯を閉じた 死に臨み正三位に叙し勲一等瑞宝章を授与された 茲に先生の生誕百年を記念して胸像を建立し永くその偉大なる学勲と不朽の功業を後世に伝える |