万葉の歌碑
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近江大津宮錦織遺跡

京阪石山坂本線「近江神宮前駅」下車。

大津市錦織に史跡近江大津宮錦織遺跡がある。

錦織(にしこおり)

 古代よりある地名で、古くはこのあたり一帯が錦部(にしこり)郷と呼ばれていました。錦部郷の地名は、機織(はたおり)関係の職務に携っていた朝鮮半島からの渡来人である錦部(にしこり)氏が、奈良時代以前より、当地一帯を居住地としていたことに由来します。

近江大津宮錦織遺跡に柿本人麻呂の歌碑があった。



   柿本人麻呂作歌

玉たすき畝傍の山の
 橿原のひじりの御代ゆ
  生れましゝ神のことごと
 つがの木のいや継ぎ継ぎに
 天の下知らしめしゝを
(そら)にみつ大和を置きて
あをによし奈良山を越え
  いかさまに思ほしめせか
 天さかる鄙にはあれど
  石走る近江の国の
  楽浪の大津の宮に
 天の下知らしめしけむ
  天皇の神の命の
   大宮は こゝと聞けども
   大殿はこゝと言へども
  春草の茂く生ひたる
  霞立ち春日の霧れる
ももしきの大宮処
   見れば悲しも

巻一、二十九番

 672年、壬申の乱により灰燼に帰した近江京の跡を訪ねた柿本人麻呂のよんだ歌。

平成20年(2008年)11月、淡海万葉の会建立。坂本信幸書。

畝傍の山の橿原の聖なる神武天皇の御代からお生まれになった歴代の天皇が、次々にそこでに天下を治められたのに、その大和を捨てて奈良山を越え、どのようにお思いになったことか天智天皇は遠く離れた田舎であるのに、近江の国の楽浪の大津の宮で、天下をお治めになったそうである。その天皇の神の命の大宮はここだと聞くけれど、大殿はここだと言うけれど、春の草がいっぱい生えている。霞が立って春の日が霞んでる大宮の跡どころを見ると悲しい。

近江神宮に向かう。

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