2022年京 都

良正院〜「戦友」の歌碑〜
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京都市営バス「知恩院前」下車。

華頂通を行くと、「わたしらの勢至丸さま」の銅像があった。


若き法然上人のお姿である。


昭和7年(1932年)、知恩院での法然上人降誕800年記念法要に際して建立。

神宮道の手前に良正院がある。

良正院の由来

知恩院の塔頭。境内には大正15年慈善事業として設立された大照学園(障害者施設)がある。

 本堂、表門は昭和61年国指定重要文化財に指定。

非公開文化財。岡山藩主、池田忠雄の母、良正院(徳川家康の二女督姫、池田輝政夫人)を弔う為、寛永8年(1631年)に建立。

 本堂の廊下はうぐいす張りで障壁画は狩野山楽の実の息子・三益(伊織)により描かれた。

 本堂「竹の間」は鳥取藩士が本圀寺にて藩主側近を襲撃した因幡二十二士の一人、奥田萬次郎氏が自刃したとされる。

 門前の「戦友」の歌碑は、当地が作詞者真下飛泉氏の終焉の地に近く、氏の教え子1824人が昭和2年(1927年)建立した。

 文字は「肉弾」等の著者桜井忠温氏である。終戦後歌詞が軍国調であるとして進駐軍(米軍)より破壊を命じられたが、当時の住職、細井照道の弁護により破壊を免れ、現在に至る。

「戦友」の歌碑


ここは御国を何百里

舞台は日露戦争時の遼東半島における戦闘。

明治38年(1905年)に作られた軍歌である。

昭和2年(1927年)11月3日、建立。

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