2026年京 都
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高瀬川と池洲〜生洲料理店の発祥の地〜

京都市中京区木屋町通三条石屋町に三条小橋がある。

昭和初期の三条小橋


 江戸時代より木屋町〜河原町間の三条通は現在より道幅が狭く、現在の河原町以西の道幅と同じでした。

 又、小橋右側(北側)の旅館『吉岡家』は、江戸時代から続く旅館です。幕末「浪士組」を結成し、「新撰組」の基礎を作り、その後「新撰組」と袂を分け、江戸の警護をして有名な庄内藩士『清河八郎』が安政2年に書いた紀行文「西遊草」のなかで、三条河原かたわらの「吉岡や」に泊まったと記してあります。また、左側の有名なアールデコ風の出窓がある旅館も江戸時代から続く「大津屋」(現在は、有名な建築家安藤忠雄によるタイムズビル)で、池田屋騒動の「池田屋」は、まだ、この当時までは、建物は残っていました。

 又、「京城勝覧」(儒学者・貝原益軒著 1630〜1714)のなかに「三条小橋高瀬川にわたせり。此下より舟にのり伏見にゆく。此邊(このへん)より大橋の際まで旅篭屋多し。」と当時の三条小橋周辺を紹介しています。

三条小橋商店街振興組合

高瀬川と池洲


絵 図


 この絵図には高瀬川の両岸に三条、二条間で、江戸中期から栄えた池洲料理屋が描かれています。鯉、鮒、鰻などの川魚や鴨などを池洲や庭に飼っておいて生鮮な料理を提供し大変繁盛しました。京の人のみならず、観光客も楽しみました。酒は出しましたが、女人禁制で、琴・三味線等の音曲も禁止の男性だけの清遊の場でした。絵図の右端、板の間の向こうに池洲があり、魚が泳いでいる野が見えます。今もこの周辺には飲食店が軒を連ねていて、大いに賑わう生洲料理店の発祥の地です。

三条小橋商店街振興組合



ひと人ヒト和川美しくゆるやかに

瑞泉寺へ。

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