牛若丸 京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる 牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く 前やうしろや右左 ここと思えばまたあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった |
あす来ても見んと 思へば 家づとに 手折るもをしき 山さくら花 |
江戸時代後期の女性歌人。夫と子どもの死を機に出家、「蓮月」と名乗る。自作の短歌を独特の書体で入れた陶器が「蓮月焼」の名でヒットした。 多くの文人との逸話もあるが、幼い富岡鉄斎の学問修業の援助をしたのは有名。幕末、明治・大正にかけてその名が広くしられていたことは、時代祭の行列に登場していることからも分かる。 歌集に「海人のかる藻」がある。 幕末、京の町が騒がしくなった72歳の時に、西賀茂村神光院茶所に移り、明治8年、84歳で没。墓は西賀茂西方寺にある。墓石の字は富岡鉄斎。
(太田垣義夫) |
扇は平安時代の初期この地に初めて作られたものである。ここ五條大橋の畔は時宗御影堂の遺趾であり、平敦盛没後その室本寺祐寛上人によって得度し蓮華院尼と稱し寺僧と共に扇を作ったと言い傳えられている。この由緒により扇工この地に集り永く扇の名産地として廣く海外にまでも喧傳されるように至った。いまこの由来を記して、これを顕彰する。 |