菊池家の三代(持朝・為邦・重朝)に仕えた家臣であった隈部忠直が、産後の肥立ちが悪く、翌年の正月に18歳で亡くなった母(将監藤原朝行の娘)の菩提を弔うために建てたものです。 忠直は応永33年(1426年)丙午5月の午の日、午の刻に生れたので、馬頭観音像を刻み、それを守り本尊とし、午の刻が昼の九ツ(現在の12時)であることから、この名を付けたといわれています。 長禄3年(1459年)、母の三十三回忌には自ら小石を拾い集めて、妙法蓮華経の六万余字と南無妙法蓮華経の文字を一字ずつ石に写して納めています。 光九庵はもともと前の田の中に建てられていたのが、現在の場所に移されたといわれています。 境内には忠直の父、隈部(源)朝豊の五輪塔など数基の墓塔が建てられていますが、建物は昭和46年に老朽化が激しかったために、取り壊されています。 また、ここより西方の迫間川に沿った右岸の田の一角には、忠直の墓所があります。
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