句 碑



内海淡節の句碑

涼しさや西へと誘ふ水の音

松山市柳井町の石手川緑地下に内海淡節の句碑があった。



涼しさや西へと

 誘ふ水の音

文化7年〜明治7年
(1810〜1874)

 淡節は本名愛之丞、松山藩士。俳諧は京都に上がって桜井梅室に学び、その養子になって花の本脇宗匠となる。

 晩年松山に帰り、明治初期地方俳壇の長老として仰がれた。大原其戎とは同門である。この句は墓碑句である。

松山市教育委員会

『俳句の里 松山』

 文化7年(1810年)、松山藩士内海多次郎の子として生まれる。愛之丞と称した。上京して桜井梅室に師事し,梅室の養子となる。

 嘉永2年(1849年)、桜井梅室は相応軒の号を内海淡節に贈る。

 万延元年(1860年)、大原其戎は「あら株塚」を建立。内海淡節は俳諧集『あら株集』の序文を書く。

 明治5年(1872年)、帰郷して地方俳人の指導に当たる。

 明治7年(1874年)6月14日、64歳で没した。

知らなかった。

松山高等學校跡へ。

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