『奥の細道』 〜北陸〜


一つ家に遊女も寝たり萩と月

糸魚川市市振の国道8号線沿いに長円寺がある。


長円寺境内に芭蕉の句碑があった。


芭蕉句碑

 『奥の細道』の芭蕉は、元禄2年(1689年)7月12日、この市振の宿に泊り、妙趣に香る遊女の句を詠んだ。

 この句碑は、郷土の文豪相馬御風の書により、大正14年に建立されたものである。

一つ家に遊女も寝たり萩と月

 この句に登場する遊女は、2人で新潟から伊勢参宮の旅の途中で翁と同宿となった。

 翌朝、旅の心細さから旅の道づれを切望されたものの修行の旅ゆえこれを断った。

 しかし、別れてからも遊女の心情が思いやられ「哀れさしばらくやまざりけらし」と記している。

新潟県糸魚川市

相馬御風は糸魚川市出身だった。

昭和40年(1965年)、山口誓子は長円寺に句碑を訪ている。

 市振の入口に大きな松が立っている。弘法清水もある。町に入って、長円寺へ行く町角で自動車を停める。左の山にその寺はある。線路を越えると、直ぐ登りになり、登った直ぐ左に芭蕉の句碑が立っている。木蔭の暗いところに。

   一つ家に遊女もねたり萩と月

 自然石の、頭から左へ左へ「一つ家に」「遊女も」「ねたり」と書き、転じて右下に斜めに「萩と月」右下の隅に「市振にて」「芭蕉」と二行。

 「市振にて芭蕉」とは変っている。

   (中 略)

 句碑の建立は大正十四年。糸魚川出身の、相馬御風の書。「市振にて芭蕉」は時代の新しいことを物語っている。

 句碑の背後、左右に日本海が見える。

『句碑をたずねて』(奥の細道)

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