芭蕉の句碑

『奥の細道』東 北


風流のはしめや奥の田うへ唄

白河市白坂の国道294号(陸羽街道)沿いに白坂境明神がある。


社殿の裏に芭蕉の句碑があった。


風流のはしめや奥の田うへ唄

 元禄2年(1689年)4月、「奥の細道」の旅で須賀川の相良等躬亭で巻かれた歌仙の発句である。

安永6年(1777年)5月、白河藩士旭窓晋江建立。

 寛政3年(1791年)6月4日、鶴田卓池は白坂境明神を訪れて芭蕉の句碑を見ている。

白坂ヨリ関ト云処へ八丁余りアリ 陸奥下野ノ国境也

   翁ノ碑 風流のはじめやおくの田うゑ歌

『奥羽記行』(自筆稿本)

昭和40年(1965年)3月、山口誓子は白坂境明神の句碑を訪ねている。

 石段を登って行くと、句碑は関東側の社にはなく、奥州側の社にあった。重々しい自然石。

   風流のはじめや奥の田うへ唄

 白河の関を越えて聞く、みちのくの田植歌は、風流のはじめだ、と云うのである。私はこの「風流」にひっかかる。

 句碑は安永六年の建立。うしろは斜面で隈笹が生えている。暗くはない。石は雨に濡れて黒ずんでいたが、字はよく読める。


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