2008年神奈川

白旗神社〜芭蕉の句碑〜
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藤沢の白旗神社に芭蕉の句碑があるというので、行ってみた。


白旗神社

御祭神
 寒川比古命(さむかわひこのみこと) 源義経公(みなもとのよしつねこう)
配 神
 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 大国主命(おおくにぬしのみこと)

 大山祗命(おおやまつみのみこと) 国狭槌命(くにさつちのみこと)

由 緒

 古くは相模の国一の宮の寒川神社の御分霊を祀って寒川神社と呼ばれていた。しかし、くわしくはわからない。

 鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治5年(1189年)閏4月30日、奥州(岩手県)平泉衣川館において自害された。 その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は腰越の浦に着き、和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として祀られた。

源義経公鎮霊碑


源義経公鎮霊碑

 文治5年(1189年)閏4月30日、奥州平泉、衣川の高館で、藤原泰衡に襲撃された義経公は自害し壮烈な最期を遂げた。その御骸は宮城県栗原郡栗駒町の御葬礼所に葬られ、また一方御首は奥州路を経て、同年6月13日、腰越の浦で首実検後に棄てられたが、潮に逆流し白旗神社の近くに流れ着き、藤沢の里人により洗い清められて葬られたと語り伝えられる。

 本年、源義経公没後810年を記念し、両地有志の方々により「御骸」と「御首」の霊を合わせ祀る鎮霊祭を斎行し、茲に源義経公鎮霊碑を建立する。

 平成十一年六月十三日

白旗神社

白旗神社


やがてむかふにわたりたどり行程に、此に白旗村といへるは、そのむかし、義経の首こゝにが飛來りたるをいはひこめて、白はたの宮といへる、今にありと聞て弥次郎兵へ

   首ばかりとんだはなしの殘りけりほんのことかはしらはたの宮


芭蕉の句碑があった。


草臥て宿かる比や藤の花

貞亨5年(1688年)4月11日、『笈の小文』の道中大和八木で詠まれた句。

文化2年(1805年)3月、以足建立。

以足は江戸の人。別号牛文庵。

碑の裏に以足の句が刻まれている。

東路や華にくるまる鈴の音

藤沢で詠まれた句ではないが、藤沢の「藤」にちなんで建てられたものであろう。

この句は『猿蓑』にも収録されている。

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