かつては山の形から猪鼻嶽(いのはなだけ)と呼ばれていましたが、源頼光の四天王の一人坂田の金時が、この山で山姥に育てられたという伝説から、江戸時代の後期には金時山とも呼ばれるようになったようです。 |
金時山 一方(ひとかた)は高萱にして一かたの木立のなだれ粗くあらしも 現なる眼下(ました)とほきを火をあげし山のなごりと見つるけふかも 霧うごくとばかりに香ごもりてあやしと思ふ谷あひ行くも をやみなき雲に觸りさびしきまでに箱根の峡を見おろしにけり 身みづからこの山の上に居りにけり近きごと天つ日わたり時ゆくや |