私の旅日記〜2009年〜
熊野神社〜白雄と蓼太の句碑〜
嘉永4年(1851年)4月8日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、鶴見橋を渡る。
河崎驛の前に川あり、橋を鶴見と曰ふ。蓋し村名に依れるならん。
横浜市鶴見区市場東中町に熊野神社がある。
熊野神社
御祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊邪奈岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪奈美尊(いざなみのみこと)。
熊野神社の左手に加舎白雄と大島蓼太の句碑があった。
朝夕や鶴の餌まきか橋の霜
| 白雄
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五月雨や鶴脛ひたすはし柱
| 蓼太
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東海道鶴見橋を詠んだ句だそうだ。
江戸時代には鶴見橋の辺りに鶴が棲みつき、餌づけがおこなわれていたという。
昭和21年(1946年)5月、建立。
鶴見出身の俳人飯田九一の揮毫だそうだ。
白雄の句は『しら雄句集』に収録されている。
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