2010年神奈川

八菅神社〜碑巡り〜
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愛川町八菅山に八菅神社がある。


八菅山(標高225米)

 八菅山(はすげさん)は古名を蛇形山(じゃぎょうさん)といった。むかし日本武尊が坂本(現在の中津坂本地区)でこの山をながめられ、山容が竜に似ているところから名付けられた。

 大宝3年、修験道の開祖役の小角(役の行者)が日本武尊の神跡をたづね、この山に国常立尊ほか六神を祀り修法を行った。そのとき八丈八手の玉幡(はた)が山中に降臨し、神座の菅の菰(こも)から八本の根が生え出たという。そこで山の名を八菅山と呼ぶようになった、これが八菅神社のはじまりであると伝えられている。

八菅神社


鳥居の右手に芭蕉の句碑があった。


蓬莱にきかはやい勢の初便り

出典は『炭俵』。「立春」と前書きがある。

元禄7年(1896年)立春、江戸で詠まれた句。

「蓬莱」は新年の祝儀の飾り物。

安政7年(1860年)、再建。

 『諸国翁墳記』に「相州八菅山光勝寺有境内 蓬莱にきかはやい勢の初便り」とある。

神仏分離で光勝寺は廃寺となった。

右手には五柏園丈水の句碑があった。


おちこちの笠も八菅や順の峯

 愛甲郡依知村猿ヶ島(現厚木市)の人。大塚家の八代目で、六左衛門武嘉と称した。自在庵祇徳社中の俳人。

八菅神社の梵鐘


 『新編相模国風土記稿』八菅村七社の項に「鐘楼元和四年(1618)鋳造ノ鐘ヲ掛」とあるそうだ。

 太平洋戦争の時にも供出をまぬかれた北相に残る数少ない貴重な梵鐘である。

300段の石段


石段の左手に若山喜志子の歌碑があった。


さかみのや八菅の宮の宮柱ふりさひぬれはいよゝたふとき

この短歌は昭和11年3月、横浜貿易新報社主催県下四十五勝当選を記念し、中津村青年團による八菅神社奉賛歌献詠に際し、選者若山喜志子先生の詠進されたものである。

昭和53年(1978年)3月28日、建立。

八菅神社社殿


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