江戸時代元和4年(1618年)の春、徳川幕府が箱根に関所を設け箱根宿を開いた。この頃箱根山中の街道筋に杉苗を植え杉並木を作ったが、箱根の宿場町の街路には楓の苗を植えて春夏秋冬の風趣を添えた。
この楓は、当時の宿場の中で本陣参勤交替の折の大名などが泊まる大きな宿泊施設で、門構えなどがあり、警護しやすい様に建てられた旅館であったはふやの門前に植えられてあったもの。明治中期の道路拡張の際、他の全部の楓は切り払われてしまった。樹齢約400年、これ程の老楓は珍しく、他所にもあまり見ることが出来ぬ。当時の本陣はふやは現在の箱根ホテルである。
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箱根宿は東海道五十三次10番目の宿場。
箱根関所

元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。
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箱根の關越て
目にかゝる時やことさら五月富士
『芭蕉翁行状記』(路通編)
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享和元年(1801年)2月29日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で箱根の関所を過ぎた。
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猶くらき坂をのぼり、御関所を守もれるものゝかたに従者をもていひつかはせしに、すでに問屋のものよりいひおこしぬれば、改めていふにをよばずといふにぞ、笠ぬぎ、中貫の沓はきて関をすぐ。長持の櫃はすでにさきだちて通りぬ。これより輿にのり、湖を右にし、石橋をわたりゆく。左右に寺などみゆ。宿のさまひなびて、湯本・畑の立場にはたちもをよばず。
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嘉永6年(1853年)9月20日、吉田松陰は箱根の関所を越えて、三島に泊まる。
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二十日 雨。已にして晴る。平塚を發し、函關を越えて、三島に宿す。
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