2010年神奈川

國榮稲荷神社〜芭蕉の句碑〜

秦野市曲松に國榮稲荷神社がある。


國榮稲荷神社


國榮稲荷神社に「大山道矢倉沢往還」の碑があった。


古道解説

 ここは、東西に通る矢倉沢往還(江戸赤坂と駿河国吉原を結ぶ)と渋沢峠を経て小田原に至る小田原道が南北に交差しており、大山や富士参詣をする人々で賑わった。曲松から北に進むと運動公園付近で水無川を渡り田原を経て大山に至る道を「どうしゃみち」と称し、季節になると参詣や順礼の人々が行き交った。また、大山参詣者や大山講の人々によって数多くの道標が建てられ、近くに江戸屋喜平治の建てた道標もあり、旅宿も何軒かあったという。

江戸屋喜平治の建てた道標


寛政8年(1796年)、建立。

道標の奥に芭蕉の句碑があった。


涼しさや直に野松の枝の形

出典は『笈日記』(支考編)。

 元禄7年(1694年)閏5月、伊賀上野の雪芝亭で巻かれた歌仙の発句。

 芭蕉の句碑−野松の句碑−は、初め渋沢村曲がり松の、村の馬場と呼ばれる松林の巨樹の下に建立されていたものを後に水神社の境内に移したものであると言われている。碑面の「涼しさや直かに野松の枝の形」の句の内「形」の文字は欠石していて、ただ一画をみることができるだけで、下記の芭蕉の文字も、「蕉」の字は欠石し、「芭」の字もわずかにそれとうかがうことのできる程度の現状である。

右肩 先たのむ影や夏野のひとつ松
   東都渉無隠士
 太初

左肩 涼しさに思ひ出しけり松の月
   
 南風

高太初は佐久間柳居の門人。

南風は渋沢の人で、稲毛丈右衛門。洞閑斎。高太初の門人。

天明8年(1788年)、南風は芭蕉句碑建立記念集『俳諧直野松』刊行。

もうひとつ芭蕉の句碑があった。


ほとゝぎすまねくや麦のむら尾花

出典は『初蝉』(風国編)

延宝9年(1681年)、芭蕉38歳の句。

 『俳諧おくれ双六』(清風編)に「まねくか麦の」とあり、風国は「まねくや麦の」と誤る。『菊の香』で誤りを訂正している。

 この句碑も曲がり松の行人松の下にあったものを後に水神社境内に移したと言われているそうだ。

発起の木隠庵芳十は自宅の庭にも芭蕉の句碑を建立している

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