2008年神奈川

江島神社〜奥津宮〜
indexにもどる

稚児ヶ淵の芭蕉の句碑から江島神社奥津宮に向かって坂を上る。


高木蒼悟の句碑があった。


 高木蒼悟は江島神社の宮司で、俳諧の研究者でした。著書の『俳諧人名辞典』で文部大臣賞を受賞したことを記念して、当時の江島神社宮司相原直八郎が昭和36年(1961年)に建立したものです。江の島には春の句が多いなかでは異色であり、

夏富士や晩籟神を鎮しむる

※晩籟 …… 夕方の風の音の意味

の句が刻まれています。

江島神社(HP)奥津宮


奥津宮

御祭神 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)

 邊津宮の田寸津比売命(たぎつひめのみこと)、中津宮の市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、当宮の多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)の3女神は世に江島大神と称えられる。

 江島神社の草創は島の南端のお岩屋であったが、度々の大波を避ける為この地にお社が創建され、当神社の本宮御旅所とも称された。役小角(奈良時代)、弘法(平安時代)、日蓮(鎌倉時代)の高僧が参籠祈願をこめて御神成を戴き、源頼朝公は奥州の藤原氏征伐祈願の為鳥居を寄進された(拝殿前)。

 現社殿は天保13年(1842年)の御造営で、拝殿天井の八方睨の亀(酒井抱一画)は名高い。

 当境内には岩屋洞窟を模した龍宮がお祀りされている。

八方睨みの亀の絵


 江戸時代、享保3年(1803年)画家酒井抱一が描いた「正面向亀図」です。正面向きの亀を桐材に金箔を押し、力強い線で描かれ、もとは胡粉、緑青、丹色で彩色されていたのですが、現在は亀の甲3ヶ所に緑青が残り、また唇及び目の周辺に丹色がわずかに残っているだけです。原絵は海風の侵害からまもるために、江島神社の宝殿に納められています。

 いま奥津宮にかかげられているのは大正15年4月、東大資料編纂室長の浦永峯光氏が、酒井抱一の末流野沢提翠画家に模写されたものです。

 酒井抱一(1772〜1840年)は江戸時代の画家でもあります。その画技は特にすぐれ、尾形光琳派の総師としても広く知られていました。

 酒井抱一がなぜここに亀絵を奉納したのかはわかりませんが、この絵が因縁となって、いま奥津宮の広場は亀寿の祝意が充満しています。

東京都台東区の出山寺にある其角の句碑に酒井抱一の句が刻まれている。

伝頼朝寄進の鳥居


 鎌倉幕府を開いた頼朝は、政治の方策としての信仰を大きく取り上げ、各地に寺社伽藍を創建したが、その一つとして江島神社にも数度にわたって参詣参籠し、そのつど信仰上の対象を寄進しています。

 吾妻鏡によれば「頼朝は養和2年(1185年)奥州平泉の藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁財天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」とあります。

 現在の鳥居は平成16年(2004年)の台風で破損し、補修されたものですが、源頼朝寄進の鳥居は、これに似たものが建てられたと伝えられています(設置の場所も形も特定できません)。

 4月5日 乙巳

 これ高尾の文覺上人、武衛の御願を祈らんが為、大弁才天をこの島に勧請し奉る。供養法を始行するの間、故に以て監臨せしめ給ふ。密かにこの事を議す。鎮守府将軍藤原秀衡を調伏せんが為なりと。今日即ち鳥居を立てらる。


江島神社中津宮へ。

2008年神奈川〜に戻る