街 道中山道


中山道碓氷関所跡

 上信越自動車道松井田妙義ICから県道51号松井田下仁田線を経て国道18号へ。


JR信越本線横川駅を過ぎると、碓氷関所跡がある。

碓氷関所跡


 1616年、江戸幕府によって碓氷関所が設置された。東西に門があり、西を幕府、東を安中藩が守っていた。昭和35年(1960年)、東門が関所跡に復元された。

 享和2年(1802年)4月4日、太田南畝は横川の関を通る。

薬師坂を下り川久保橋をわたりて横川の関あり。関のあら垣のもとにたゝずみて、御用の書物おさめし長持の櫃を番所の前にかきすえさせ、従者をしてその趣を告しめしに、御用の文書おさめたれば長持の櫃の中をばうかゞはず。されど関の法なれば、これが鎖をひらく鎰(かぎ)あらたむるよしをいひて、通る事をゆるす。


 文化2年(1805年)8月10日、川村碩布は碓氷関所の人に求められて句を詠んでいる。

関の人々ほ句せよといふに

   あさかけやもみちも関の一かさり

こゝろにとめて書へき句にもあらねとおほやけ人にうちきこえてしものなれはこゝにしるす

『穂屋祭紀行』

碩布の自撰句集『布鬼圃』に「穂家露」として収録されている。

 文化7年(1810年)5月10日、小林一茶は江戸を発ち、13日、碓氷関所に手形を納めた。

   十三 曇 巳刻 横川手形納る。

『七番日記』(文化7年5月)

小林一茶は江戸と柏原を往復するたびに碓氷関所を通ったはずである。

 明治21年(1888年)、横川駅から軽井沢駅まで碓氷馬車鉄道開通。

 明治24年(1891年)5月、正岡子規は馬車で碓氷峠を越えた。

 上野より汽車にて横川に行く。馬車笛吹嶺を渉る。鳥の声耳元に落ちて見あぐれば千仭の絶壁、百尺の老樹、聳え聳えて天も高からず。樵夫の歌、足もとに起つて見下せば蔦かづらを伝ひて渡るべき谷間に腥き風颯と吹きどよめきて万山自ら震動す。遙かにこしかたを見かへるに山又山峩々として路いづくにかある。寸馬豆人のみぞ、かれかと許り疑はれて、

   つゝら折幾重の峯をわたりきて雲間にひくき山もとの里


 明治26年(1893年)4月1日、横川駅から軽井沢駅間官設鉄道開業。

 明治27年(1894年)6月、高浜虚子は碓氷峠を越え木曾路を経て京都に帰る。

夕雲の空覚束なく三峰に分るゝ者は妙義山なり。雲垂れて暮色遠くより至り窓外山飛び森行く。行方に三日月は煙に消えて碓氷峠のトンネル二十六出つ入りつ、汽笛木魂に響きて物凄し。

   短夜の闇に聳ゆる碓氷かな


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