街 道


長崎街道武雄温泉

武雄市武雄町に武雄温泉がある。

 江戸時代の長崎街道は、長崎から小倉まで、道程57里(約228km)、25か所の宿駅場をむすぶ往来であった。

 寛永の鎖国令(1639年)以降、長崎港は、西洋文化を受け入れる唯一の玄関口として栄え、長崎を拠点とする長崎街道は、まさに日本のシルクロードとして、人馬の往来も急速に伸びていった。

 武雄を通る長崎街道は、はじめ、嬉野―塩田―橘―北方の南コースであったが、度々の水害で道路が閉ざされたので、享保2年(1717年)以降、嬉野―武雄―北方のコースに変更され、今日におよんでいる。

武雄温泉楼門


長崎街道 本 陣

 本陣は、江戸時代以降の宿場で大名や旗本、役人、勅使などの宿泊所として指定された施設である。

 塚崎宿の本陣は、現在の武雄温泉の敷地に湯屋(浴場)と隣接してあった。

 身分によって湯坪は違っており、藩主・領主専用の浴場は御前湯とも呼ばれた。シーボルトの「江戸参府紀行」によると藩主・領主専用の浴場はは、大きく快適であった。もともと水晶のように透き通った湯を前もって、馬の尾で作った篩(ふるい)でこしており、その清潔さは驚くほどであったと記録されている。

 今も武雄温泉には「殿様湯」と呼ばれる浴槽が設置されている。

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