街 道中山道


中山道塩名田宿

上信越自動車道佐久ICで国道141号に入る。

「浅間中学西」を右折して県道44号下仁田浅科線を行く。


県道44号下仁田浅科線から旧中山道に入る。


塩名田(しおなだ)交差点に中山道塩名田(しおなだ)宿の標識がある。


木曾街道六拾九次 塩名田(歌川広重画)


 塩名田宿は日本橋から中山道23番目の宿で、千曲川川越しの宿として栄えたそうだ。

塩名田宿本陣・問屋跡


 寛政5年(1793年)、田上菊舎は諏訪から和田を越えて、長久保に止宿、翌日は塩名田に泊まる。

すはを立、和田越へて、四つ時より終日大雨、長つぼといふ所に止宿、翌日上田にゆくべきを、橋落ちて塩なだといふ所に宿。


千曲川


長野新幹線の向こうに浅間山が見える。

 享和2年(1802年)4月3日、太田南畝は千曲川を渡り、塩名田宿へ。

行き行きて筑摩川ながる。河原ひろし。大橋小橋をわたりゆく。橋の前に駒よせあり。塩名田の駅舎わびしき所也。雨またふり来れり。


 嘉永6年(1853年)5月20日、吉田松陰は江戸に行く途中、塩名田から岩村田へ。

鹽名田・八幡・岩村田を經。岩村田は内藤豐後守が陣屋の在る所なり。豐州は見(げん)に伏見奉行となりて聲名あり。


 昭和41年(1966年)、水原秋桜子は塩名田を訪れている。

   信濃、塩名田 三句

秋鮎や宿も瀬も古る千曲川

瀬の巌の盆供(ぼんぐ)を堰(せ)けり千曲川

雨の洲に下りて拝めり魂送

『殉教』

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