街 道東海道


佐夜鹿一里塚

小夜の中山公園から日坂宿に向かって緩やかな坂道を下る。


「佐夜鹿一里塚」があった。


佐夜鹿(小夜の中山)一里塚

 徳川家康は慶長6年(1601年)、江戸と京都を結ぶ東海道に宿駅を設置しました。 その後、街道の並木の整備とともに一里塚が作られました。江戸日本橋を起点にして1里(36町)ごとの里程を示す塚で、街道の両脇に5間(約9メートル)四方の塚を築いて、その上に榎や松が植えられました。

 ここ小夜の中山の一里塚は、慶長9年(1604年)に作られました。日本橋からこの一里塚までの里程を示す設置当初の記録はありませんが、周辺の一里塚の言い伝えによる里数や当初の東海道のルートを考えて56里目という説があります。

 また、元禄3年(1690年)の「東海道分間絵図」では日本橋から日坂宿まで52里30町ですので、この一里塚は52里に相当します。

 天保14年(1843年)の「東海道宿村大概帳」では日坂宿まで54里26町、小夜の中山まで54里2町ですので、この一里塚は54里に相当すると思われます。

 東海道のルートは時代とともに若干の変更もありましたが、一里塚の位置が移動したという記録はありません。

 いずれにいずれにせよ一里塚は、東海道を行き来する旅人などにとっておおよその道程の目安になっていたことと思われます。

  芭蕉の句碑へ。

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