街 道東海道


来迎寺一里塚

知立市来迎寺町の旧東海道を行く。


来迎寺町三叉路に「八橋山無量寺」の道標があった。


元禄の道標

道標とは、道路を通行する人の便宜のため、方向・距離等を示し、路傍に立てた標示物のことである。この道は、江戸時代の東海道であったから、諸処にこの様な道標が建てられていた。

従是四丁半北 八橋 業平作観音有

元禄九丙子年六月吉朔日施主敬白

と記されており、これは、元禄9年(1696年)に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられたものであることがわかる。ここから西へ500メートルの牛田町西端にも、『東海道名所図会』に記されている元禄12年の道標が残されている。

知立市教育委員会

来迎寺一里塚


   


県指定文化財(史跡)

 慶長8年(1603年)、徳川家康が江戸に幕府を開き、その翌年中央集権の必要から諸国の街道整備に着手、大久保長安に命じ江戸日本橋を起点に、東海道・東山道・北陸道など主要街道を修理させた。この時1里(約4キロメートル)ごとに築いた里程標を一里塚・一里山などと称した。

 こうした一里塚は通行者の便宜上後年になって脇街道にも造られるようになった。

 塚の上の樹木は主として榎が植えられたが、この塚は代々、松といわれる。この大きさは直径約11メートル、高さ約3メートルに土を盛り、街道の両側に造られている。

 この塚のように両塚とも完全に遺されているのは、大へん珍しい。

 県下では岡崎市の大平一里塚と豊明市の阿野一里塚などがある。

知立市教育委員会

牛田町西端の道標


東海道松並木へ。

街 道東海道に戻る