街 道


舞坂宿脇本陣

一里塚跡から舞坂宿脇本陣へ。

仲町 常夜灯


 文化6年(1809年)に舞坂宿の大半を焼く大きな火災があり、復興に大変難儀をしました。火防(ひぶせ)の山、秋葉信仰の高まりとともに仲町の願いにより、4年後の文化10年5月吉日にこの常夜灯が建立されました。両皇太神宮、秋葉大権現、津島牛頭天王の銘が刻まれ、高さは台座ともで2.7メートルあります。

 なお、西側の石の祠は、秋葉山をまつってあります。ちなみに、ここ宝珠院は、明治6年(1873年)舞阪町に初めて小学校が開かれた所です。

舞阪町教育委員会

東海道舞坂宿脇本陣


 舞坂宿は、慶長6年(1601年)の東海道宿駅制度設定に伴い開設された五十三次のうち、江戸から30番目の宿駅で、弘化2年(1845年)の資料では、人口1,204人・戸数265戸でした。

 また、本陣(宮崎伝左衛門)と相本陣(源馬徳右衛門)があり、源馬本陣の向側に脇本陣(茗荷屋 堀江清兵衛)がありました。また本陣(堀江清兵衛)と相本陣(源馬徳右衛門)があり、源馬本陣の向かい側に脇本陣(茗荷屋 堀江清兵衛)がありました。

 脇本陣は、大名・幕府役人等が本陣で宿泊休憩できない時に利用された施設で、普段は一般の旅籠屋として使われました。

 建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成され、現構で間口5間・奥行き15間ありました。

 現在書院棟1棟が残されており、旧東海道宿駅の中では、唯一の脇本陣遺構として貴重な建物です。

 平成7年復元保存のため解体を行った結果、書院棟の大棟瓦に「天保九年五月吉日 横山村瓦師政右衛門」の篦書が発見され、また、旧上段の間の床の間落掛材に「天保九年戌春ヨリ秋迄数月」の墨書が発見され、書院棟が天保9年(1838年)の建築であることが判明しました。

舞阪町教育委員会

脇本陣中庭


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