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神流川古戦場跡

上里町勅使河原から国道17号で神流川を渡ると、群馬県。

「神流川古戦場跡」の碑があった。


神流川古戦場跡


神流川合戦

 天正10年(1582年)6月19日、織田信長が本能寺に倒れた直後、関東管領瀧川一益は信長の仇を討たんと京へ志し、これに対し好機至れりと北条氏は5万の大軍を神流川流域に進めた。瀧川一益は義を重んじ勇猛の西上州軍1万6千を率いて、石をも燃ゆる盛夏の中死闘を展開し、滝川軍は戦死3,760級の戦史に稀なる大激戦で「神流川合戦」と呼んでいる。後世古戦場に石碑を建て、首塚、胴塚も史跡として残され東(あずま)音頭にもうたわれ、神流川の清流も今も変わりなく清らかに流れている。

 神流川合戦で上里町勅使河原の大光寺は総門のみを残し焼失、上里町忍保の池上神社は社殿を焼失した。

 藤岡市の神明宮は神流川合戦で炎上。

貞享2年(1685年)、貝原益軒は「神流川合戦」のことを書いている。

岩鼻村、かんな川。武藏上野の境也。天正年中瀧川佐近将監と北条氏政と合戦したる所也。



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