山口誓子


「木曾行」

山口誓子は犬山のホテルから旧中山道を通って木曽福島へ。

 犬山のホテルから出発した。昔の中仙道を通つて木曾福島まで行きたいのだ。

 中仙道は草津東海道と岐れてゐる。その道は通つたことがある。磨鉢(すりばち)峠を越え(この峠の茶店は『木曾路名所図会』の挿絵に描かれてゐるが、そのおもかげが今も残つてゐる)寝物語の里を過ぎて、近江から美濃に入り、関ケ原、赤坂から鵜沼へさしかかる。犬山から行くと、鵜沼で中仙道に入るのだ。この道は次の宿の太田まで知つてゐる。太田から木曾川を下つたことがあるのだ。太田、いまは美濃加茂市。

 木曾川の鉄橋を渡つて町中に入ると、多治見市へ行く道が右へ、瑞浪市へ行く道が左へ岐れてゐる。中仙道は左へ行つて、伏見、御嶽を通る。

 その辺から中仙道はわからなくなる。昔の『道中図鑑』を見ると、御嶽から井尻、西洞(さいと)、小原、津橋(つばせ)を通つてゐるが、その道は今の地図にはない。

 今の道は、美佐野のシェルのガソリン・スタンドから左へ折れる。渓を行き、山の中を行くうねうね道である。道を間違へたかと心配してゐると「御嶽釜戸線」といふ道標が立つてゐる。その道は釜戸で国道十九号線に号するのだ。

 やがて細久手に着く。昔の宿だ。両側の家々に宿場の面影が残つている。そこを通り抜けると、高原になり、一ツ屋を過ぎ、琵琶坂を大久手へ下りて行く。

 大久手も昔の宿だ。そこから南へ下つてゆくと、中央線の釜戸駅が見え、国道十九号線も見えて来る。しかし昔の中仙道は釜戸まで下りずに、大久手から東へ四ツ谷を通つて大井へ行つた。昔の中仙道を通るつもりだつたが、自動車の行くべき道ではないので、新しい道を通らねばならなかつた。

 昔の中仙道を通るつもりだつたが、自動車の行くべき道ではないので、新しい道を通らねばならなかつた。

 大井からは、昔の中仙道で、中津川、落合の宿を通る。そこは美濃と信濃の界だ。

落合大橋


 落合の橋を渡ると、右へ岐れる道があつて、馬籠へ行く。それが昔の中仙道である。私は曾てその道を馬籠まで行つて、知つてゐるから、その道に未練はない。

 私は国道十九号線をずんずん走る。木曾川沿ひに出来た新しい道である。次の宿は三富野(みとの)である。馬籠を経て妻籠へ下りて来る昔の中仙道は、三富野の手前の吾妻橋のところで木曾川の谷へ出て来るが、その妻籠へは帰りに立ち寄るつもりだ。

 『木曾路名所図会』の三富野に「木曾路はみな山中なり」と書いてある。私は直ちに島崎藤村の『夜明け前』の「木曾路はすべて山の中である」といふ書き出しを思ひ出す。

 それから野尻、須原、上松を過ぎて、福島に達するのだ。

 芭蕉の「更科紀行」(貞亨五年)には「木曾路は山深く道さかしく」と書かれてゐるが、芭蕉は馬に乗せられ「高山奇峰頭の上におほひ重なりて、左りは大河ながれ、岸下の千尋(ちひろ)のおもひをなし」た。それは、寝覚の床の手前のことであるから、三富野から野尻までの間なら、沓掛、十二兼の立場、須原と上松の間なら番場、立町の立場のことである。昔の道中図鑑は、三富野から上松までの道をずつと高い崖の上に描いてゐるから、きつとその間のことにちがひない。

 私は木曾川をつぶさに見て行つた。その川は石川であつたり、青淵であつたり、ダムであつたりした。上るに従つて川の岩は小さくなり、ところによつては野川のやうになつた。

 須原を過ぎて、右手の山に小野の滝を見たが、寝覚の床へは下りずに行を急いだ。

 福島には昔、関所があつて、出女、入り鉄砲を改めた。東海道の箱根新居の関所と同じ詮議をしたのだ。

 国道から右に昇つて、関所跡を見た。国道の直ぐ上の道を歩いてゆくと、東門跡といふのが」あり、関所水があり、西門跡がある。

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