街 道東海道


東海道松並木

浜松市西区舞阪町の県道49号細江舞阪線は旧東海道。

東海道松並木


この松並木は慶長9年(1604年)徳川幕府の命により街道を整備し黒松を植えたのに始まる。正徳2年(1712年)には舞阪宿の東端見付石垣より馬郡境まで、8町40間(約920m)道の両側の堤に1,420本の立木があったという。その後寿命や台風で倒れる一方で、その都度補植など行ってきたが、昭和13年(1938年)国道付替えの際、堤を崩し両側に歩道をつけ今日の姿になった。

現在700m、株数約330本旧東海道の面影を良く残している。

舞阪町・舞阪町教育委員会

舞坂   今切真景


舞坂宿は、日本橋から67里(264.9キロ)品川宿から数えて30番目の宿である。

東海道の陸路は舞坂で一度切れて、ここから新居宿まで海上一里半船を頼りとして渡ることになる。

浜名湖は、かつて遠淡海(遠江)とうたわれる淡水湖であったが、明応7年(1498年)の地震により切れて入海となった。その切れ口を今切と呼ぶ。地震による被災から復興して今切渡船の発着地となり、舞坂は交通の要地となった。

 天明6年(1786年)3月、蝶夢は方壺の案内で浜名湖巡り、「今切」のことを書いている。

さるをそのゝちならむ、つねならぬ大浪の寄けるにうち崩されて、こなたの松原・かなたの橋もいづち行けむ、あらずなりて、今の世には松原のありしあたりを今切(いまぎれ)のわたりとて、三十町あまり潮うみと水うみ一つになれるなり。


蝶夢は明応7年(1498年)の地震を知らなかったようである。

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