街 道中山道


中山道細久手宿

県道65号恵那御嵩線は旧中山道。


歴史の道中山道
細 久 手 宿

 海抜420メートルにあって、江戸から48番目(距離約92里)、京から22番目(距離約42里)に位置する宿場です。中山道の開設当初、東の大湫宿から西の御嵩宿までの道程が4里半(約17.7キロメートル)もあったことから、尾張藩によって設置されました。 慶長11年(1606年)の開宿当初は、七軒屋と呼ばれる小さな仮宿で、その後放火により全焼し、慶長15年(1610年)に正規の宿場として再整備されています。 宿場の規模については、天保14年(1843年)の記録に「町並み三町四十五間(約410メートル)、家数六十五軒、総人数二百五十六人」の記録があります。

 細久手宿は、仮宿の全焼のほか、寛政14年(1802年)、文化10年(1813年)、安政5年(1858年)の3度にわたって大火に見舞われ、大きな被害を受けました。現在の町並みは安政の大火以降に形成されたものです。

瑞 浪 市

寛政13年2月5日、亨和に改元。「寛政14年」は「亨和2年」が正しい。

旅館大黒屋」


中山道細久手宿(旧尾張藩本陣)

国登録有形文化財である。

貞享2年(1685年)、貝原益軒は細久手宿のことを書いている。

○細久手より御嶽へ三里、細久手の家五十許あり。


享和2年(1802年)3月27日、太田南畝は細久手宿に入る。

細久手の駅に入れば、左の方なる林の中に鳥居あり。石坂のみゆるを何ぞと問へば、産土の神なりと答ふ。駅舎のさまわびし。お六櫛をひさぐもの多し。


山口誓子は細久手宿に着く。

 やがて細久手に着く。昔の宿だ。両側の家々に宿場の面影が残つている。そこを通り抜けると、高原になり、一ツ屋を過ぎ、琵琶坂を大久手へ下りて行く。

「木曾行」(昭和44年12月)

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