街 道例幣使街道


五料関所跡

玉村町五料は例幣使街道の第2の宿場。

 文化11年(1814年)、五料宿の茶屋「高砂屋」の主人高橋光賢は倉賀野に常夜灯と道標を建立した。

玉村町五料に五料関所跡があった。


五料関所

 五料の渡しは東西交通の要衝であった。戦国期には那波氏の家臣でこの附近を領していた石倉氏が、関所を設け関銭を取っていた。

 慶長6年(1601年)厩橋藩(前橋藩)主が平岩親吉から酒井忠重に移ると、五料に関所を設けた。元和2年(1616年)8月に幕府公認の関所となったが、更に元禄10年(1697年)再び幕府の指定をうけている。しかし関所の管理は、明治元年廃関まで前橋藩が管理をしていた。

 正保3年(1646年)から恒例となった日光東照宮への奉幣使の通路であり,例幣使道の唯1ヶ所の関所であった。

 五料の関所は、日光例幣使の通行と舟運の取締りが特別に課せられた任務といえる。特に登り舟(江戸方面に向う船)については、禁制品(鉄砲・鉛・焔ショウ※火+肖・硫黄等)が積込まれていないか船中を改め、不審な点がなければ、船問屋から手形(請書)を提出させて出船を許した。

 天明3年(1783年)7月の浅間山噴火は、沿岸に大きな災害を与えた。地元の沼之上村も泥押しの被害にあい、関所全部が泥で埋り、建物の屋根だけが見えるだけであると報告している。

 その後天明6年(1786年)7月の洪水、文政10年(1827年)3月の火災等の際にも関所は被害をうけている。

 玉村宿方面から来ると例幣使道筋からの門から入り、河原の船着場に向う門から出て、渡し船に乗るような構造になつている。

 現在遺構としては、玉村宿方面からの門の沓石と関所用の井戸だけである。

玉村町教育委員会

利根川に架かる五料橋


五料橋を渡ると、伊勢崎市柴町

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