2022年鹿児島

鶴丸城跡〜御楼門の復元〜
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鹿児島市城山町に鶴丸城跡がある。

薩摩は人をもって城となす

−77万石の本拠は天守閣をもたない屋形づくり−

 鶴が翼をひろげた形をしていることから鹿児島城は別名鶴丸城と呼ばれていました。

 慶長6年(1601年)、関ヶ原合戦の後、島津家18代家久が上山城(城山)の補修と麓の居館づくりを思い立ち、父義弘の「ここは海に近すぎて危ない」という反対を押し切って着工します。家久はこの地を政治・経済の中心地として城下町の建設を始めたのです。まず居館を築き、その周辺に家臣の屋敷を移し、慶長11年(1606年)城の前の橋が完成したとされています。

 城といっても本丸、二の丸、下屋敷が並び、天守閣や層楼のない屋形づくりでした。これは、「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想によるもので、藩内の各所には兵農一致の郷士団が守る外城がめぐらされていました。

 城下は鶴丸城を中心に武家屋敷、その外側に上町6町、下町12町、そして西田町4町が設けられ、5,000人余りの町人が集められましたが、圧倒的に武士の多い城下町だったようです。

 維新後は、熊本鎮台の分営として使われ、明治6年(1873年)炎上。残されたのは城壁と擬宝珠つきの石橋だけとなりました。

明治5年(1872年)の鹿児島(鶴丸)城


明治5年(1872年)撮影の御楼門と石橋


御楼門


令和2年(2020年)4月、復元。

鹿児島(鶴丸)城御楼門の復元

 御楼門の復元は、県民有志団体等による取組を経て、鹿児島経済同友会をはじめとする県内経済5団体を中心とした「鶴丸城御楼門復元実行委員会」と鹿児島県とで「鶴丸城御楼門建設協議会」を設立し、鹿児島市の協力を得て、明治維新150周年記念事業の一環として官民一体となって進められました。

 147年ぶりに史実に忠実に復元した御楼門は,日本最大級ともいわれる青銅製の鯱を大屋根に載せ,高さ・幅ともに約20メートルもある日本最大の城門であり,鹿児島の新しいシンボルとなるものです。

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