平安時代の武将源義経が愛したとされる静御前。 静は舞の名人であった母磯禅師から舞を教わり、宮中で雨乞いの舞を披露した際に後白河天皇より“日本一の舞姫”と賞賛される。 母磯禅師が東かがわ市小磯の生まれだった縁から静が晩年を過ごしたとされる旧長尾町や三木町には史跡が数多くあり、その一つがこの「剃髪塚」。 静は奈良・吉野の山中で義経と別れた後、京へと帰ったが義経恋しさあまり病気を患い、郷愁を感じていた母と共に讃岐の地へ帰ることとなる。 母と共に信仰の旅へと出た静は長尾寺へと辿り着き、住職の宥意和尚から「いろはうた」などにより無常さを諭され、二人は得度した。静は宥意和尚の一文字をもらい「宥心尼(ゆうしんに)」、母は「磯禅尼(いそのぜんに)」となった。 その際に落とした静御前の髪が剃髪塚に納められているとされる。
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永平寺 三句 水音のたえずして御仏とあり てふてふひらひらいらかをこえた 法堂(ハツタウ)あけはなつ明けはなれてゐる |