『諸国翁墳記』に「秋風塚 奥南部稗貫郡花巻 三宝山松廣寺境内 其楽建之」とある。 |
東京と花巻で2度の戦禍をを受けた高村光太郎は大田村山口の山の麓(花巻市太田第33地割91番地5)にある杉皮葺、荒壁、障子一重の粗末な山小屋に移り、7年間に渡る独居生活を送った。 “山林孤棲”63歳の光太郎を包む山口山の自然は温かなものばかりではなく、吹雪の夜は寝ている顔や蒲団に粉雪がかかり、また夏の夜は、蚊やブヨに悩まされながら深い反省のなかから真と善と美に生きぬこうと“こころ”を斧鑿する厳しい生活をした。この花巻での7年間を支えたものは、地元の人々のあたたかい心と、離れることのない妻“智恵子”への思慕であり、光太郎は智恵子の命日10月5日に、ここ松庵寺を訪れていた。 |
松庵寺奥州花巻といふひなびた町の |
浄土宗の古刹松庵寺で |
秋の村雨ふりしきるあなたの命日に |
まことにささやかな法事をしました |
花巻の町も戦火をうけて |
すつかり焼けた松庵寺は |
物置小屋に須弥壇をつくつた |
二畳敷のお堂でした |
雨がうしろの障子から吹きこみ |
和尚さまの衣のすそさへ濡れました |
和尚さまは静かな声でしみじみと |
型どほりに一枚起請文をよみました |
仏を信じて身をなげ出した昔の人の |
おそろしい告白の真実が |
今の世でも生きてわたくしをうちました |
限りなき信によつてわたくしのために |
燃えてしまつたあなたの一生の序列を |
この松庵寺の物置御堂の仏の前で |
又も食ひ入るやうに思ひしらべました |
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