2015年岩 手

志和八幡宮〜芭蕉の句碑〜
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紫波町上平沢八幡に志和八幡宮がある。


志和八幡宮


志和八幡宮由緒

 志和に鎮座の八幡宮の祭神は誉田別命、武甕槌命にして清和天皇の貞観4年(863年)8月に山城国(現在京都)男山八幡宮を勧請されたものであると伝えられている。

 そもそも八幡宮は源氏累世の氏神にして、康平5年(1062年)鎮守府将軍源頼義朝臣長男八幡太郎義家が奥賊誅伐のため、志和の陣を発するにあたり、志和八幡宮に戦勝を祈願したところ、“白鳩舞い遊ぶを観る” 戦、利あらず苦戦の時、その白鳩再び飛び来たると見るうちに、忽ち暴風起こり、賊城中より煙焔立ちのぼるを見る。その時鬨の声をあげて攻めたて、遂に賊を平定、当地方を安住の地としたと伝えられている。

 又、代々の南部藩主の崇敬篤く、慶長年間利直公より祀田43石4斗1升の寄進がなされ、明治4年10月には郷社に列せられた。

 毎年正月5日、義家戦勝、報恩感謝のため、夜明に大篝火を焚上げ、御勧日、五元日祭、が今日まで盛大に祝われている。

 志和八幡宮の祭神は武勇の神であると共に平和の神、家内安全、商売繁昌、無病息災、交通安全の神としてあがめられている所以でもある。

社殿の左手奥に芭蕉の句碑があった。


芭蕉翁桃青居士

初時雨猿も小蓑をほしけなり

『猿蓑』(去来・凡兆共編)冒頭の句。

元禄2年(1689年)9月下旬、芭蕉46歳の作。

『卯辰集』には「伊賀へ歸る山中にて」と前書きがある。

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