2014年岩 手

文学の蔵〜島崎藤村文学碑〜
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一関市田村町に「世嬉の一酒の民俗文化博物館」がある。


「世嬉の一酒の民俗文化博物館」


登録有形文化財である。

島崎藤村ゆかりの地

 わが国の近代文学にそびえ立大作『夜明け前』を著した文豪島崎藤村(1872〜1943)は、明治26年9月から10月にかけて、一関の豪商「熊文」こと熊谷家に寄寓し、長男太三郎に英語を教えるかたわら、清遊のときをすごしました。ここは、その「熊文」の跡地です。

 島崎の一関来遊は、キリスト教伝道の旅で当地に来た友人北村透谷の紹介によるものでした。当時21歳の島崎は、明治女学校の教え子で、いいなずけのある佐藤輔子を愛したことで苦悩し、さすらいの旅の果てに、一関へ傷心の身をはこんだのでした。ところが一関は、輔子の少女期をはぐくんだ地でもあったのです。この奇しき二重の縁により、島崎と一関のゆかりは濃いものがあります。

 遂げられぬ愛の苦しみだけでなく、文学的にも混迷と模索の過程にあった時だけに、当地の美しい山水とこまやかな人情に触れた思い出は、忘れ難く藤村の胸に刻まれたと思われ、昭和12年にも再訪しています。一関行きのことは『春』や『眼鏡』に描かれており、太三郎との交友のことは『家』にも表れています。

 一関を去ってから4年後、藤村はようやく自己の文学の夜明けを迎えます。わが国の近代詩の出発を告げる『若菜集』の誕生です。一関滞在は短かったものの、抒情詩人として出発する若き藤村にとって、この北の風土と暖かな人情は、彼の文学の夜明け前の揺籃であったと言えるでしょう。

文学の蔵設立委員会

中庭に藤村文学碑があった。


あゝ自分のやうなものでもどうかして生きたい

 ここは、島崎藤村の寄寓した豪商「熊文」の跡地である。碑文は、藤村、その友北村透谷、思慕の人佐藤輔子ら明治の青春群像をえがいた名作『春』より採った。藤村の文学をつらぬく基調音として名高い独白である。

 藤村、透谷、輔子とも一関にゆかりがあり、藤村の一関曽遊百年・没後50年を記念し、この碑を建てた。

  1993年 夏

文学の蔵設立委員会

「世嬉の一酒の民俗文化博物」に一関市文学の蔵(HP)がある。

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