2024年岩 手
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光原社〜宮沢賢治ゆかりの地〜

盛岡市材木町に「光原社」がある。


文学のまち もりおか
宮沢賢治(1896〜1933)ゆかりの地「光原社」

 宮沢賢治は、明治29年(1896年)8月27日岩手県稗貫郡里川口村川口町(現花巻市)で生まれた。盛岡中学校(現盛岡一高)、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の多感な青春期を盛岡で過ごした。

 盛岡中学時代は寄宿舎に入り、家から離れ解放感を味わい、岩手山登山をはじをめとして盛んに盛岡近郊の山歩きを愉しみ、石拾いや植物採集に励んだ。また中学の10年先輩の石川啄木の影響を受け短歌創作にいそしんだ。

4年生の時には他の寄宿舎生たちと一緒に舎監排斥運動を起こして寄宿舎を追い出され、卒業までの1年間を北山の寺院に下宿することになり、たくさんの文学書や宗教書を読んだり、座禅を組んだりと人間や生きることについて深く考える機会を得た。

 やがて、盛岡高等農林学校を受験、大正4年(1915年)トップの成績で合格した。入学してからの生活は中学時代のそれとはうって変わり、級長・特待生に選ばれるなど、ひたすら学問に情熱を傾けていった模範生であった。科学の真理に感動し、「法華経」信仰に目覚め、その独自の思想の萌芽を育む時代であった。

 大正13年(1924年)花巻農学校に在職中に詩集『春と修羅』を自費出版し、『イーハトヴ童話注文の多い料理店』を光原社から出版した。この童話集は賢治が生きているうちに出版された、ただ1冊の童話集である。

盛岡市・盛岡観光協会

宮沢賢治イーハトヴ童話注文の多い料理店出版の地


あゝマヂエル様どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝようにはやくこの世界がなりますようにそのためならば、わたしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません

賢治烏の北斗七星より



まことのことばはここになく修羅のなみだはつちにふる

春と修羅より



この雪はどこをえらぼうにもあんまりどこもまっしろなのだ

永訣の朝より

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