2012年岩 手

種田天満宮〜碑巡り〜
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嘉永5年(1852年)3月13日、吉田松陰は石鳥谷を経て花巻へ。

十三日  微雨。午時(ひるどき)乃ち止む。驛を發し、石取を經て花牧に至る、城あり。


石鳥谷町好地第7地割に種田天満宮がある。


種田天満宮


 種田天満宮は菅原道真を祀っており、古くから学問や書道の神として崇敬されてきました。 言い伝えによれば、京都の北野天満宮からの勧請と言われていますが、神社がいつごろ、だれによって勧請されたのかは明らかでありません。

 かつて、神社の左右に御供田がありましたが、この水田は毎年実りがよく、どんな年でも米が取れないことはありませんでした。凶年の年にこの水田より種もみを分けたことから、種田と称するようになりました。

 神社の別当は、東側にある大森家が行い、現在に至っています。大森家の祖源太右ェ門は、盛岡藩主六代信恩(のぶおき)の時に五駄二人扶持を賜りました。五代目俊助親如(ちかゆき)は、荒廃していた社を文化10年(1813年)に再建し、以後は近郷近在から信仰を集めました。六代目定見は、寺子屋の師匠として子弟の教育にあたりました。

 神社は、盛岡藩主十一代利敬(としたか)の時、藩内の神社書き上げの中に登載された神社でした。このころの奥州街道(現在の県道中寺林犬渕線)に面していましたが、昭和初期に現在地に移転しました。現在の本殿の造営は、嘉永年間(1848〜1854年)といわれ、平成15年に修復が施されました。祭日は、春は4月25日で、秋は9月25日です。

 境内には、江戸の東都弧山堂卓朗(小森氏)の筆による安政3年(1856年)弥生(3月)12日建立の芭蕉の句碑、また、同年ごろの建立と考えられている古池庵吐月の句碑があります。

 神社は学業成就の神として今日に至っていますが、以前は例祭日には幟を立て、盛んに少年の宮相撲が行われたほか、文章の上達を祈って青少年の「書」を寄進する慣わしなどがありました。また、毎日お参りすれば勉強ができるようになるということで、学校の行き帰りなどには子供たちの姿が見られました。

石   鳥   谷   町
石鳥谷町教育委員会

芭蕉の句碑


古池や蛙飛こむ水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。

「菅公重陽詩」碑があった。


去年今夜待清涼   秋思詩篇獨斷腸

恩賜御衣今在此   捧持毎日拜餘香

去年の今夜清涼に待し、秋思の詩篇獨り斷腸。

恩賜の御衣今此に在り、捧持して毎日餘香を拝す。

昭和12年(1937年)4月25日、建立。

菅原道真の歌碑もあった。


海ならすたゝよふ水のそこまても清きこゝろを月そ照らさむ

昭和10年(1935年)6月25日、建立。

「古池庵吐月の句碑」は分からなかった。

吐月 一号 奥州盛岡石鳥谷駅 三国屋又兵衛

 雲に遣る眼の草臥や花の雨 吐月


 平成18年(2006年)1月1日、石鳥谷町は大迫町及び東和町と共に花巻市と合併し、花巻市となった。

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