太宰府に島流しにされた菅原道真の子敦茂が、当地に来山し父親が丹精こめて育てていた蘭麝梅の実を植えたところ当山一帯に咲き乱れ高貴な香りを放っていたので「蘭梅山」という名がついた。 |
今から約1800年位前、延喜式内社として、日本武尊(景行天皇の皇子)が奉ったのがはじまり。 |
今、この社殿の梅の盛りに鶯が鳴き出すのはもとより、牛までがきっと鳴くにちがいない。 延宝4年(1676年)、芭蕉33才の句。 |
「本殿養和元年(1181年)9月16日改築、拝殿正徳元年(1711年)9月16日改築」とある。 |
早春の薄明の中、山路を登って行くと、野の梅の香が強く薫っている。と急に、あたりを赤々と染めて、朝日が昇ってきた。 元禄7年(1694年)、芭蕉51才の句。 |
十一日 大槻の屋戸よりはいといと近き配志和神にまうづ。杜の梢は花ちり若葉さし、まだ咲やらぬかた岨の木々もめづらし。鳥居の額は土御門泰邦卿の真蹟(カキ)給ひしといふ、手風(テブリ)ことにめでたし。そもそも此神社(ミヤシロ)は、斎(イツキ)奉(マツ)りしよしを云ひ伝ふ配志和ノ社ノ内(カンサネ)は皇孫彦火瓊々杵ノ尊、左方(ヒダリ)は木花開耶姫命、右方(ミギ)は高皇産霊尊也。また明神ノ御社(ミヤシロ)をはじめ八幡ノ社、鎌足ノ社、安日ノ社、神星ノ社、土守ノ社、かゝるみやしろみやしろにぬさとりくまぐま見ありくに、菅香梅とて、よしある梅も青さして、こゝにも老婆(ウバ)杉とて千年(チトセ)ふりけむ、枝のなからに山桜の寄生(ヤドリキ)ありて花いたく咲たり。なほ木のもとにふりあふぎて、 |
「はしわのわかば」 |