元禄2年(1689年)4月16日、『奥の細道』の旅の途中、黒羽を立ち殺生石に向かう途中で詠まれた句。
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安政5年(1858年)4月21日、曙葎の一周忌に息子の營造が建立。
曙葎は号秋来庵、通称弥三郎。
安政4年(1857年)4月21日、没。
辞世 雲はれてこゝろしづみぬけしの花
右の芭蕉句碑

は飛出与可比や可下の蟾の聲
元禄2年(1689年)5月、『奥の細道』の旅の途中、尾花沢で詠まれた句。
文久元年(1861年)8月、澹然舎分賞の志念を継いで門弟が建立。
澹然舎分賞は水海道の俳人。
二世芭蕉堂成田蒼キュウの門人。
※キュウは虫+おつにょう
文久元年(1861年)5月15日、68歳で没。
辞世 異なりし風のかをるや法の船
左の芭蕉句碑

枯芝やまたかけろふの一二寸
出典は『泊船集』。
貞亨5年(1688年)新春の句。